入社してから、気づけば5年が経ちました。
この5年間、デザインの仕事はもちろん、撮影やWeb制作、クライアントとの打ち合わせ、企画やディレクションなど、いろいろな仕事に関わってきました。
入社したばかりの頃と比べれば、できるようになったことも、見えるようになったことも少しずつ増えてきたように思います。
その中で、デザインを見るときの考え方について、以前よりも意識するようになったことがあります。
今回は、そんな5年間の経験の中で自分なりに考えてきたことを、ひとつ書いてみようと思います。
それが、
「わかりづらい」って、誰の「わかり」なんだろう?
という話です。
「私はわかる」なら、それでいい?
デザインをしていると、
「ちょっとわかりづらいかも」
「別の意味にも見えるかもしれない」
「もう少し伝わりやすくしたほうがいい」
といった話をすることがあります。
そんなとき、
「私はそう読めます」
「私はそう思いません」
「言われるまで気になりませんでした」
という反応になることもあります。
もちろん、その感覚自体が間違っているわけではありません。
実際、その人にはそう見えているし、そう読めている。
それもひとつの受け取り方です。
ただ、デザインの仕事では、
「自分がどう感じるか」だけでは判断できないことがあります。
なぜなら、そのデザインを見るのは、自分だけではないからです。
「わかりづらい」は、誰の話なのか
たとえば、あるデザインを見て「わかりづらい」と感じたとします。
このときの「わかりづらい」は、必ずしも
「私にはわかりづらい」
という意味ではありません。
むしろ、
「誰かにとって、わかりづらい可能性がある」
という意味で使っていることのほうが多いと思います。
初めてこのブランドを知る人が見たらどうだろう。
このサービスについて何も知らない人なら、どう読むだろう。
私たちにとっては当たり前の前提を、相手も知っているだろうか。
違う意味に受け取られる可能性はないだろうか。
そうやって、一度自分の視点から離れて、受け手の立場から見直してみる。
デザインを見るときに必要なのは、「私はわかるか」だけではなく、
「誰に届けるデザインなのか、その人にはどう伝わるか」まで考えることだと思っています。
正解を当てることではなく、可能性を考えること
とはいえ、「見る人全員がどう感じるか」なんて、当然わかりません。
100人いれば、100人まったく同じように受け取るわけでもありません。
もちろん、考えられるすべての受け取られ方を想定する必要はありません。
大切なのは、誰に届けたいデザインなのかを踏まえたうえで、自分の感覚だけを基準にしないことだと思います。
だから、
「この人は絶対こう思う」
「ユーザーは必ずこう読む」
と決めつけることも、少し違うと思っています。
大事なのは、正解を当てることではなく、
「こう受け取られる可能性はないか?」
と考えられること。
「自分はこう読める。でも、前提を知らない人なら?」
「この表現でも意味は通じる。でも、一瞬別の意味に見えないか?」
「情報としては間違っていない。でも、このブランドらしく見えるだろうか?」
ひとつの見方だけで判断せず、いくつかの受け取られ方を想像してみる。
この「可能性を考える」という視点は、デザインをするうえでとても大切だと感じています。
デザインは「伝えた」で終わらない
こちらが伝えたいことをきちんと入れた。
必要な情報も載っている。
文章としても間違っていない。
それでも、相手に意図した通りに伝わるとは限りません。
たとえば、強く見せたい表現が、人によっては威圧的に見えるかもしれない。
親しみやすくしたつもりが、ブランドによっては軽く見えてしまうかもしれない。
目立たせるための表現が、別の情報を邪魔してしまうこともあります。
ここで考えたいのは、
「何を伝えたか」だけではなく、「どう受け取られたか」。
特にブランディングの仕事では、その小さな受け取られ方の積み重ねが、ブランドの印象につながっていきます。
「ちゃんと書いてあるから伝わるはず」
「自分にはそう見えないから大丈夫」
ではなく、
相手の目にどう映るかまで含めてデザインする。
それが、私たちの仕事のひとつなのだと思います。
自分の視点から、一度離れてみる
デザインをつくっている本人は、そのデザインについて誰よりもたくさん考えています。
コンセプトも知っている。
載っている情報の意味も知っている。
なぜこのレイアウトにしたのかも、なぜこの表現を選んだのかも知っている。
だからこそ、見えなくなるものがあります。
自分の中ではすでにつながっている情報だから、説明が少なくても理解できる。
何度も見ているから、少し複雑でも迷わない。
意図を知っているから、その表現を別の意味には受け取らない。
でも、実際にそのデザインを見る人の多くは、そうではありません。
何の前提もない状態で、初めて見る人もいます。
だからデザインを考えるときは、ときどき自分の視点から離れてみる必要があります。
「自分ならどう見るか」ではなく、「自分ではない誰かならどう見るか」。
簡単そうに見えて、実際にやってみると意外と難しい。
でも、この視点を持てるようになると、デザインを見るときの解像度は少しずつ変わってくると思います。
「私はそう思いません」の、その先へ
もちろん、デザインに対して「私はそう思わない」と感じること自体は悪いことではありません。
むしろ、その違和感をそのままにせず、自分なりに考えることは大切です。
ただ、そこで思考を止めてしまうのは少しもったいない。
「私はそう思わない。なぜだろう?」
「相手はなぜそう感じたんだろう?」
「自分と相手では、どこを違う視点で見ているんだろう?」
「ほかの人が見た場合はどうだろう?」
そこまで考えてみると、フィードバックは単純な「合っている/間違っている」の話ではなくなります。
デザインに対する意見が違ったときも、どちらかの感覚を否定するのではなく、
それぞれがどんな視点からそのデザインを見ているのかを考えてみる。
そうすると、ひとつのデザインから見えるものが、少し増える気がします。
誰かの「わかり」を想像する
「わかりづらい」という言葉だけを見ると、とても主観的な言葉に見えます。
でも、デザインの仕事で考えたい「わかり」は、自分ひとりのものではありません。
初めて見る人の「わかり」。
前提を知らない人の「わかり」。
ブランドをまだ知らない人の「わかり」。
そして、そのデザインを通して初めてブランドに触れる人の「わかり」。
すべてを完璧に想像することはできません。
それでも、
「自分にはどう見えるか」から、もう一歩外へ。
誰かにどう伝わり、どう受け取られるのかを想像してみる。
「わかりづらい」と感じたときも、「自分はわかる」で終わらせず、このデザインを受け取る人にはどう見えるだろう、と考えてみる。
「わかりづらい」って、誰の「わかり」?
そんな問いを持っておくことが、デザインを見る視点を少し広げてくれるのではないかと思います。