こんにちは。服部です。私の名刺をご覧になったことがある方はご存知かもしれませんが、休日に少年サッカーチームのコーチとして関わっておりまして。
今回は、そこで体験した貴重な経験と気持ちを書いてみました。読んでみようかと思ってくださる方、約7年分を思い出しながら書いた文章ゆえ長文です。ご承知おきを。
私は小2からサッカーを始めた。弱小少年団だったけど、サッカーが大好きだった。中学から様相は変わり、体育系部活特有の縦社会といじめで、いつの間にかサッカーを嫌いになった。
だから長男ソウタにサッカーを勧めた記憶はない。ところが友達に誘われたとかで、長男は小1でサッカー少年団に入団した。2017年、7年前のこと。
ま、子どもがサッカーに取り組む分には全く問題ない。身体づくりとしてもいいだろう。試合を覗きに行った際には、自分の子供がプレーしている姿を観るだけなら意外と楽しめるもんだと思った。サッカーとこれぐらいの距離感なら悪くない、と思っていた。
予想にしなかったのはこの後から。
友人宅玄関を開ける私。すで盛り上がっている和の中に先輩コーチを発見。
…先輩コーチの勧誘方法はズルかった。
当時は仕事でかなり無理をしていて、時間にも気持ちにも余裕がまったくなかったから、正直乗り気ではなかった。
その週末からグラウンドへ向かうものの、サッカーと適度な距離を保つことに神経を使っていた。やはり仕事とのバランスが本当に難しくて、いつもやめたいと思っていた。おまけに時折、部活のシーンを思い出す瞬間に出会い、吐き気すらするときもあった。
ただ、パパコーチを辞退して長男の試合が見に行きづらくなるのも、それはそれで嫌だった。騙し騙しに入れ込みすぎない距離感を保ちながら、なんとか続ける。
そんなある日、次男タイチ(当時年長)も後を追って入団してきた。兄につられての入団、よくあるパターン。
私は長男学年を担当していたが、次男学年の担当が足りないということで異動となった。この異動は単純な増員というよりも、「事務局」という役割(各種の日程連絡調整など、つまり雑用)を担う人物が必要という意味合いである。その意味合いを知ったのはもう少しあとになってからだけど。
「事務局」の役割の一つに学校行事などと調整を図る必要があり、選手保護者のほうが都合が良い。つまりパパコーチがそれを担うのがチーム運営上スムーズであり、次男学年でパパコーチは私一人だった。
事務局がいなければチームが成り立たないことは知っていたので、やってみるがこれが更に仕事とのバランスが取れなくなっていく原因となった。私のスケジュール管理は完全に破綻した。
そんな最中、とあるコーチ(以下、Yコーチ)と共に活動することとなり、徐々に私の考えも変化してゆく。Yコーチはサッカーオタクというにふさわしく、恐ろしいほどサッカーに詳しかった。おまけに私と同い年にもかかわらず、コーチを始めて20年以上の大ベテラン。
…などなど、彼は毎週末に向けて平日でもチームのことを考える人だった。選手の成長を何よりも最優先に考える人だった。
そして誰より、サッカーの美しさを知る人だった。
Yコーチが選手に向けてサッカーの基本・戦術・理論を伝え教える、その脇で私も選手と同じように話に聞き入っていた。
月日が経つと、中学で嫌いになった私の中のサッカーは少しづつ姿を変え、美しいものとして認識するようになっていった。サッカーという競技が、ただの競技に収まらず成熟された完成度の高いスポーツだと、初めて知った。
嫌いだとすら思っていた私がそう思えたのだから、伸びしろだらけの選手たちに至っては、サッカーを通して人生を学ぶくらい存在が大きかったことと思う。
この頃から「サッカー(チーム運営含む)」と「人生」と「経営」の脳内リンクができるようになっていった。
サッカーの考え方が、人生に活かせる。サッカーの考え方が、ビジネスやチームビルディングやマネジメントに活かせるとわかった。(ここを掘り出すと止まらないので、また別で。)
難航していた私自身のスケジュール管理についても、そもそも「バランスを取る」という考え方をやめた。
ワーク・ライフ・バランスを目指すのではなく、ワーク・ライフ・ミックスとすることにした。両方とも境界なくがっつりやってみる。
事務局の役割も仕事レベルと同じように、思いっきり加速してやった。試合を組みまくった。合宿も組みまくった。大会も遠慮なく主催した。
そんな運営スタンスが功を奏したのか(笑)、チームは各種大会で優勝を重ねられるほどに成長していった。
心が大きく揺さぶられたのはU10県大会。ベスト8戦をPKで敗退したとき、涙が止まらなかった。勝ち上がってゆく緊張感、歓喜、無念とはこういうことなのかと知った。ここからゾクゾクさせられる瞬間に出会う場面が加速度的に増えてゆく。
選手たちもベスト8の経験を通して目指すべきものが変わっていき、試合はもちろん、練習の質が飛躍的に高くなっていった。
事務局もまた強豪を目指すチームの対応に変化してゆく。
最終学年に近づくに連れ心身ともに強く、どこよりも誇れるチームに成長してくれた。
誰が試合に出ても懸命にプレーする選手たちは、保護者はもちろん他チームからも評判の声を聞くほどに多くの人々に愛されるチームになっていた。なにより、兄弟のようにお互いを認めあい助け合い刺激しあう選手たちに尊敬しかなかった。
その選手たちが先日卒団をした。
最初に顔を合わせた彼らからは想像もできないほどに、たくましくなった姿だった。後輩選手、コーチ陣、保護者みんなが笑顔で送り出した、本当にいい卒団式だったと思う。
この7年間で私が学んだこと、感じたことは計り知れない。サッカーは私にとって単なるスポーツではなくなってしまった。人生を豊かにする教訓を教えてくれた貴重な存在となった。次男が卒団しても、まだコーチを続けるなんて想像もできなかったくらい。
中学で大嫌いになったサッカーが、今また大好きになった。